ろーだいありー

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『「歴史認識とは何か」』のさらに細かい問題点

前に書いたこの記事。

 

lucyukan.hatenablog.com

 

『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(大沼保昭著 聞き手・江川紹子/中公新書)の問題点をまとめたが、よく考えるとさらに問題点・改善して欲しい点があったので補足しておく。主に日本軍「慰安婦」問題のページについて。

まず、対談本という形式なので、江川しょこたん(江川紹子さん。親しみを込めてこう呼ぶ)に「女性のためのアジア平和国民基金」(以下「国民基金」)をやって良かったと自慢したい、という思いも大沼保昭氏(2018年逝去)にはあったのでは、と思える。対談本ではなく一人語りの本にした方が良かった。江川しょこたんも、もっと大沼氏に突っ込んだ質問をして欲しい。「国民基金を全て被害者・被害国に渡さなかったのはなぜですか? 使途不明金は何に使ったのですか?」など。オフレコではもっと突っ込んだ質問をしていたかも知れないけど。いつかオフレコ含む「完全版」を出して欲しい。…それにしても、江川しょこたんも、もしも「大沼氏の言い分や著書(大沼氏の『「慰安婦」問題とは何だったのか』も読んだことがあるようだし)を信じ込んでいる」としたら、ジャーナリストとしては問題があると思う。他の日本軍「慰安婦」問題に関する本(特に基金反対派の本)を読んだことがあるのだろうか。大沼氏の言うことを単純に鵜呑みにはしていない、と信じたいのだが…。

新書よりも単行本にした方が良い。そうすれば、巻末の資料や文献リストも豊富になり、資料として使いやすいから。一般の人はあまり読まないかも知れないが(新書なのは一般人にアピールするためか?)。この「国民基金」については、擁護派には都合の悪い事実であろうとも、なるべく多くの資料・データ及び関連する出来事、マスコミの反応、反対派も含む人々の声を載せた本を基金関係者が一般向けに出すと良いと思う。もちろん先入観などは無しで。

資料といえば、この本の巻末の資料には足りないものがある。それは「国民基金の使い道を細かく記載したもの」である。他の本には載っていたりする*1。これを載せてしまうと、「実際に寄贈された金より、使途不明の金が多いとは何事だ!」と、読者が気づくので嫌なのか? だが、こういう部分も含めて「国民基金」の全容を紹介しなければフェアでは無いだろう。使途不明金があるなら、それの使い道の全容も明かすべきだ。大沼氏は使途不明金のことは知らないのだろうか?

また、巻末の資料には「国民基金に反対した人たちの声明」、「欧州会議「慰安婦」決議」*2などは載っていない。これらも参考として載せた方が資料性が高くなるだろう。しかし、特に「欧州会議「慰安婦」決議」を載せると「基金は世界に誇り得る」と思う読者が減るから、嫌なのだろうか。この本しか読まない場合、「国民基金は世界に誇れるいいものなんだ、受け付けない韓国は悪いのだ」と思い込む読者が増えてしまう危険がある(嫌韓の始まりとなりかねない)。基金批判本もセットで読むべきだろう。大沼氏の意見を鵜呑みにせず、批判的に読めるのならいいのだが。

また、この本では「国民基金は善、反対派は悪」という単純な構造に読めてしまうのも問題。大沼氏はそういうことにしたいのだろう。この本を読むと、大沼氏は「基金反対派・国家補償にこだわる人」の意見、「周りの思惑とは関係なく自らの意志で基金を貰わないと決めた被害女性(大沼氏は、「そういう人は、本当は貰いたいのに、基金に反対するグループの圧力によって拒否せざるを得なかった人だ」と思っているらしいが、本当だろうか? 必ずしもそうとは考えられない)」の意見を尊重しているとはあまり思えない。被害女性の気持ち、「女性の人権」とは何か、被害女性や韓国社会、基金反対グループが日本国家に何を求めているのか、を理解できていないように見受けられたが、その根底には「マッチョイズム」と「セクシズム」があるのかも知れない。

具体的に、この本から引用してみる。大沼氏はこう語る。

基金の償いがおこなわれた当時、韓国政府が認定していた被害者は二百人強でしたから、三分の一弱です。すさまじいバッシングがなされた状況で、それだけの方が償いの実施を求め、受け取ったのです。そうした社会的圧力がなければ、大半の元慰安婦が日本からの償いを受け取れたのではないか。そう思うと、今でも自分たちの非力が切ない。*3

…これは一見、素直に反省しているいい話のように見えるが、よく考えて欲しい。韓国社会や基金反対グループによる「社会的圧力」というのが、ただの大沼氏の思い込み・デマである可能性もあるので注意が必要だろう。また、これは「全ての元「慰安婦」が償い金を喜んで受け取るだろう」という、独善的な前提が基になっていることにも注目して欲しい。たとえ圧力などなくても、「絶対に、はした金など受け取らない」と拒否する方も居るのだろう、とは考えていないようだ。それと、「それだけの方が償いの実施を求め」とあるが、本当に自発的に求めたのか? 「国民基金側が、基金を無理やり受け取らせるための様々な工作をしていた」らしい、という報告*4もあるので(真偽は分からないが)、「本当は望まないのに無理やり受け取らされた」人も確実に居ると考えられる。それについてはなぜ触れないのだろうか? 「自分たちの非力が切ない」と言うが、つまり「もっと我々が努力していれば解決したのに…」と言いたいのであろう。でも、たとえもっと努力したとしても、当時の日本政府が右翼発言(「慰安婦はいない」など)を繰り返している状況下においては(さらにこの「償い金」自体にも様々な問題がある)、解決することは無いと思う。もっと言うとこの問題は、「様々な要素が絡む非常に根深いもの」(単なる歴史問題ではなく、植民地主義の問題、女性の人権問題なども含まれる)なので、単に「日本人の力・努力」さえあれば解決するようなものではない。加害者は日本であるのに、韓国人の努力(「国民基金」の評価・理解)を求めるのもおかしなことだ…。

あとこれはかなり重要であるが、やはり他の「慰安婦」問題に関する本を読むと、大沼氏の言う事と食い違う点が多い。どちらが本当かはともかく、参考としてあるひとつの事例に関して引用する。

大沼氏は言う。

韓国でも償いを受け取りたいという元慰安婦は多数いました。まず七人の被害者がそうした意志を明確に示したので、償い金、総理の手紙、さらに医療福祉金をお渡ししました。(後略)*5

では別の本より。これは「韓国挺身隊問題対策協議会」という、大沼氏がひたすら槍玉に上げる、韓国の「慰安婦」支援グループの方「尹 美香」氏が書いたもの。

被害者がすでに反対の立場を訴え、韓国政府も反対の立場を明らかにしたにもかかわらず、「国民基金」は基金支給を強行した。一九九七年一月十一日、秘密裡にソウルにあるホテルで被害者七人に会って基金を支給したのだ。(後略)*6

大沼氏は「被害者自身が受け取りたいという意志を示したからお渡しした」と書き、尹氏は「被害者は反対の立場を示したのに強行支給した」と書く。これではまるで正反対である。この食い違いはどこから来るのか? このあたりは、事実関係を調査してから書く方が良かった。

他にも「『韓国挺身隊問題対策協議会』は被害女性に償い金を受け取らないように圧力をかけた*7」などと大沼氏は書くが、尹氏は「我々は国民基金を受け取った被害女性をいじめたりしていない*8」などと書いていたりする。どちらが本当かはさておき、このように人によって主張が違うことは念頭に置くべきだろう。やはり大沼氏の本だけ信じるのは良くない。

また、他の本を読めば分かるが「韓国挺身隊問題対策協議会」などの基金反対派グループの人たちも様々であり、多くは被害女性たちの気持ちを汲み取ろうと努力し、色々な試行錯誤を繰り返し、基金賛成派などからのバッシングにも対応しつつ、苦悩しながら活動をしているのであり、それを一括りにして「基金反対派グループの人は被害女性の気持ちを知らずに様々な圧力をかけている」などと思い込む事自体が間違いだ(その思い込みは、実は「国民基金」関係者にも言えるのかも知れない、と考えた方がいいだろう)。圧力をかけたのが事実だとしても、なぜそうせざるを得なかったか、ということも検証するべきだ。

これは以前『「歴史認識」とは何か』から以前引用した大沼氏の言葉だが、さらに気になる点があるのでもう一度引用する。

慰安婦問題で日本はアジア女性基金をつくり、多くの人が真剣にこの問題を考え、心からお詫びをしようと努力しました。しかし残念なことに、そういう気持ちや努力は韓国ではほとんど評価されなかった。そこには反日感情を煽った韓国メディアの問題性がありました。そこから、日本国民の間には、「百パーセント満足のいくものではないかもしれないけど、真摯に謝り、精一杯の誠意を示した。なのにゼロ回答か」という失望感が広がりました。さらに、「韓国に謝っても何もいいことはない。かえって居丈高な態度を取られるだけではないか」という怒りが出てきた。そうした感情を背景に、“嫌韓”を題材にした漫画や本が売れるようになった。*9

この中で「真摯に謝り、精一杯の誠意を示した」とあるが、謝る方の日本人がこのように自画自賛することは間違いだと思う。「真摯に謝ってくれた、精一杯の誠意を示してくれた」と感じるかどうかは、韓国人にゆだねられなければならない。さらに、この「国民基金」は何度も言うが「国家の法的責任は認めない形での償い金」であり、「首相からのお詫びの手紙」も国の法的責任を認めた形ではないし、文章もとても短いものである(また小泉元首相、橋本元首相は「靖国神社」に参拝したことがあるのも忘れてはいけない)。それを「心からのお詫び」、「真摯に謝った」、「精一杯の誠意」と言っていいのか?  という疑問も沸くのだけど。大沼氏は、評価されなかったのは韓国メディアのせいとしているが、本当にそうだろうか。これは、「韓国人はすぐメディアを鵜呑みにするものだ」とバカにしている発言にも思えるが。自分で色々調べた結果、「償い金と手紙の本質」(それと日本の首相と保守政治家の歴史観)が分かって怒りを覚え、だから評価しなかったという人たちも多いのではないのか。

もう一つ気になったのは大沼氏のこの言葉。

その一方で、『朝日新聞』をはじめとする「進歩的」メディアが自分たちの「正義」を振りかざして一方的で偏った報道をしてきたことについて、九〇年代から日本国民の不満が溜まってきていたように思います。(後略)*10

ここで真っ先に『朝日新聞』を槍玉にあげているのは(なぜ他のメディアは無いのか?)、実は大沼氏の個人的な「朝日憎し」という感情からなのかも? と思った。というのは、『朝日新聞』は「国民基金」に対して当初は否定的だったようだから*11。ただし、後に『朝日新聞』も『帝国の慰安婦』を賞賛するようになったらしいが。それと、「自分たちの「正義」を振りかざして」という部分は、まさに大沼氏らが「国民基金」を強引に推し進めたことを言っているように思えるが、彼はそれに気づかないのだろうか…。

この本の日本軍「慰安婦」問題のページは、いったい誰に読ませるために書いたのか、と考えると、やはり大沼氏と同じような「国民基金」支持者なのかも知れない。このタイプの人が読めば心地いい本だが、批判派が読むとムカつく本であろう。

本当に「国民基金」理解者を増やしたいと思っているのならば、勝手な思い込みを書いたり、韓国などに基金失敗の責任を押し付けたり、美談ばかり載せたり、「基金は世界に誇り得る」などと書くのではなく、大沼氏らに都合の悪い事も含めてあらゆる事実を受け入れ、謙虚に自己反省を試みた方がいいと思うが、この本にはそれがあまり感じられない。これでは、批判派をますます増やすだけだろう。

さらに、こんなことも大沼氏は言っている。

(前略)二十一世紀になって、韓国国内でも、基金の理念と実際の行動が少しずつ知られるようになると、それを評価する声も出てきています。まだまだ少数派ではありますが……。*12

…多分永久に「少数派」のままだろう(大沼氏としては多数派になって欲しいと願ってるのかも知れないが、基金関係者らが自己弁明を続ける限りは無理だと思うけどね…)。安倍首相の歴史観は右翼本と同じだし、日韓関係は冷え込んでいるし。また、その「基金を評価する少数派の韓国人」も、自発的にそう思うようになったのではなく、国民基金を称讃する日本人(または朴裕河氏などの「国民基金評価派の韓国人」)に懐柔された可能性もある。

それとこの文にはちょっと気になる点がある。「基金の理念実際の行動が少しずつ知られるようになると、それを評価する声も出てきています」という部分。まず、基金の理念そのもの(「国は責任を認めないが、その代わり償い金を国民が出す」)が間違っていたとしか思えないので、これが正しく知られるとむしろ否定派を増やすことになる。基金の理念を、日本政府と大沼氏らに都合のいいように「捻じ曲げて解釈した」(「日本は官民一体となって「慰安婦」問題の責任を取ろうとした」と解釈した)場合は評価する向きも出てくるだろうが、その場合は「正しい評価」とは言えないだろう。「実際の行動」にしても、確かに「大沼氏らに都合のいい部分」だけ知れば評価できるかも知れない。だが他方で、大沼氏らには都合の悪い部分も全て知ってしまった場合はとても評価できないだろうし、解散後に基金の正当化ばかり続けていることが知れたらますます評価は下がると思うが。*13

また後述するが、基金を評価する向きが出てきたのは、大沼氏の言うようなことが要因ではなく、別の理由があると考えている。

江川しょこたんが国民基金について、こんなことを言っていた。

江川 (前略)以前は否定的だったけれど、これがあったからこそ、日本も被害者に誠意をもって対応してきたと国際社会に向かって言える、と再評価する声もあります。(後略)*14

ここで言う「再評価する声がある」とはどこの声なのかが気になる(「嫌韓」の人だという可能性もある)。何となくだが、いつからか日本軍「慰安婦」問題について、「韓国との和解論」が日本の左派の間でもてはやされるようになったため、一部で再評価されたとも考えられるが、どこで誰が再評価しているのかも書いて欲しい。また、たとえ本当に「国民基金」が日韓両方で再評価されているとしても、それは朴裕河氏の本『和解のために』や『帝国の慰安婦』の影響などで「日韓の世論や、日本の左派(一部)の考え方が変化したこと(「日本の責任を問い続けるより、さっさと和解した方が日韓のために良い」という方向に変わった)」が主な要因であり、「今まで散々批判されてきた『国民基金』が、本当は良いものだったという証ではない」のだろう、と私は考えている。そう、さっき言った「基金再評価の別の理由」とはこのことだ。

参考・引用文献

  • 『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(大沼保昭著 聞き手・江川紹子/中公新書)
  • 『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編/大月書店)
  • 『アジアの声・第11集 私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷』(戦争犠牲者を心に刻む会編/東方出版)
  • 『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』(大沼保昭著/中公新書)
  • 『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(朴裕河著/平凡社ライブラリー)

*1:『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編/大月書店)73ページ参照

*2:『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』巻末の資料1の、4ページ参照

*3:『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(大沼保昭著 聞き手・江川紹子/中公新書)148ページ

*4:『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』121~122ページ参照

*5:『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』146ページ

*6:『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』100ページ

*7:『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』146~147ページ参照

*8:『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』104~105ページ参照

*9:『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』130~131ページ

*10:『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』156ページ

*11:『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』78ページ参照

*12:『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』161ページ

*13:『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』76ページによると、「被害女性に振り込まれるはずの基金」が、何者かに搾取されたことがあったというが、これはれっきとした事実と考えられる。

*14:『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』142ページ