ろーだいありー

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大沼保昭氏の発言について、および「国民基金」のこと

前の記事。

 

lucyukan.hatenablog.com

 

これに関連して、『「歴史認識」とは何か』の著者である大沼保昭氏(2018年逝去)の、生前の発言を拾ってみた。

まずはこれ。

 

yna.kr

 

…この見出しだけでも、大沼氏の厚かましさは分かるんじゃないかなぁ…。

要約すると、大沼氏は自分が関わった「女性のためのアジア平和国民基金」(以下「国民基金」)を評価しない韓国に「失望・絶望した」という話なのだろうが、ちょっと待てよと突っ込みたくなるだろう。

まず、「日本の保守派政治家・首相らの態度・思想・言論(「戦争は正しかった」、「植民地支配は良かった」、「慰安婦はいない」、「日本軍は慰安所に関わらなかった」など)」、「日本の歴史教科書から『慰安婦』が消えたこと」、「日本で『新しい歴史教科書』などの歴史修正(改竄)主義教科書が現れたこと」、「日本国家が責任を認めない『国民基金』の構想」などに「何度も何度も失望・絶望」してきたのは韓国である。だからこそ、日本に抗議し続けているのだろう。当然のことだ。

それを見て「韓国に絶望」とはどういうことだ。韓国を絶望させたのは他ならぬ日本人・日本国家である。そして大沼氏も「国民基金」に関わったのだから、「韓国を絶望させた一人」であるのに、その自覚すらないのか? 韓国を絶望させておきながら「韓国に絶望しました」とは。これは何度も言っているが、「かつての日本は韓国を植民地支配して韓国人を怒らせたり絶望させたりした」わけだが、戦後になって日本の右翼が「植民地時代、日本は韓国にいいこともした。なのに戦後、日本に対して『植民地時代のことを清算して欲しい』と抗議したりしていて、日本に全く感謝しないとは何事だ、絶望した」と本に書いたりすることと似たような話である。

彼は亡くなるまで「私は“国民基金”を作って韓国にいいことをしてあげたのに、なぜ受け入れないんだ」なんていう思い込みから、全く抜け出せなかったのだろうか。そもそも「国民基金」はいいものだ、という思想自体が独善的であり、基金を受け取る予定の相手国や元「慰安婦」の女性(以下は「被害女性」とする)がどう思うかは自由である。その発想が無かったのではないか。結局、彼は「被害女性や、相手国(特に韓国)が本当は何を望むのかが、最期まで理解できなかった」のかも知れない。とにかく「金」の問題にして、被害女性に対して「経済的に困っているのだろう、金が欲しいのだろう、金をちらつかせれば受け取るだろう、これでもう日本に対して何も言わなくなるだろう」と言いたかったのだとすれば、やはり独善的でマッチョとしか…。本当に被害女性たちを金銭的に支えたいなら、寄付金など募らず、日本政府とも関わることなく、私財で彼女らに何かしてあげた方がまだ良かったのかも知れない。

もうひとつ紹介する。

 

japanese.joins.com

 

…これの見出しも何だかなぁ…としか思えない。まるで嫌韓本の目次みたいだと思った。日本の方が「慰安婦などいない」といった言論が蔓延るおかしな社会じゃないか! こういった彼の発言が、「嫌韓」派と「日本スゴイ」派の人たちにいいように利用されてしまう可能性がある、ということには気づかないのか。例えば「日本軍「慰安婦」問題解決のために尽力された素晴らしい日本人・大沼氏も、韓国は『世界に誇り得る(と大沼氏が勝手に思っている)国民基金を理解しようともしない、おかしな社会』だと言っていました。仰る通りですね!」みたいに。大沼氏は「嫌韓」・「歴史修正(改竄)主義」は嫌いだったのだろうとは思うが、結局は自分が「嫌韓」派(さらに「日本スゴイ」派)に近くなってしまったのかも知れない。

ここで言う「慰安婦問題の少数意見」というのは、深読みすれば「国民基金を高く評価し、『よくやった』と日本を褒める意見」のことのように思う(『「歴史認識」とは何か』を読むと)。そういう「身勝手な、大沼氏らに都合のいい意見」を称讃する韓国人は、韓国では永遠に多数派になることはないだろう(そして日本でも、国際的にも)。この中で、相変わらず彼は韓国マスコミやNGOなどに敵意を向けている…。その体質をまず変えなければ、永遠に韓国には理解されないだろう。といっても彼はもう亡くなっているので、どうにもならないのだけど。

今更言ってもあれだが「国民基金」は、まずプロジェクトが始まった時点で「このプロジェクトは反発されるのではないか? 受け取らない人が多数出るのではないか?」といった可能性を考え(無論、寄付を募る側の日本でも)、十分なリサーチを行い、どうあってもうまく行きそうになかったら、公表する前に中止する、ということも考えた方が良かったのだろう。本来は慎重にやる必要があるプロジェクトなのに、見切り発車だったことも失敗の原因の一つなのかも。

参考文献

  • 『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(大沼保昭著 聞き手・江川紹子/中公新書)
  • 『歴史と責任 「慰安婦」問題と一九九〇年代』(金富子・中野敏男編著/青弓社)
  • 『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編/大月書店)
  • 『アジアの声・第11集 私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷』(戦争犠牲者を心に刻む会編/東方出版)
  • 『歴史戦と思想戦――歴史問題の読み解き方』(山崎雅弘著/集英社新書)