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『「慰安婦」問題とは何だったのか』(大沼保昭著)の問題点

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今回は、『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(大沼保昭著 聞き手・江川紹子/中公新書)と同じ大沼保昭氏(2018年逝去)の『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』(大沼保昭著/中公新書)を批評する。『「歴史認識とは何か」』より前の本である。

一見すると、大沼氏の関わった「女性のためのアジア平和国民基金」(以下「国民基金」。ただし引用文では「女性基金」)の総括本のようだが、全体的に見ると「国民基金」を評価したい立場から書かれているので、偏り・思い込み・美化が多いのだろう。いきなり「首相からのお詫びの手紙」に涙した元「慰安婦」(以下「被害女性」)の話から始まっているのは、基金を美化したい狙いがありそうだ。まあ、その手紙も本当に首相が書いたものとは思われないけど…。

とりあえず、全てを論じるのは難しいので、「国民基金」全否定派の立場から、おかしいと思ったところをいくつか取り上げてみる。

「はじめに」に、こうある。

(前略)何もかもお上に頼るのは日本人の悪い癖である。(後略)*1

これはその通りだが、この日本軍「慰安婦」問題に関しては、政府自らが「国家責任」を認めて解決しようとしなければ意味のないことである。何しろ「日本軍」は、かつての日本が作ったものだから。

歴史修正(改竄)主義的発言などを繰り返す政治家について、大沼氏はこう言う。

結局、日本国民がそうした「妄言」を吐く政治家を選挙で選んでいるのである。(後略)*2

 …はっきり言うが、これは一般国民を馬鹿にしている発言としか思えない(エリートゆえの発想?)。これでは、日本国民全てがこんな政治家を望み、選んでいるかのように思わせてしまう。だが少なくとも私は、そんな妄言を吐く政治家には投票したつもりは無いし、これからもしないだろう。また、大沼氏はこのような妄言を吐く政治家に、一度でも猛抗議したことがあるのか? 日本の政治家の歴史修正(改竄)主義発言・歴史修正(改竄)主義の『新しい歴史教科書』の検定合格・他の歴史教科書からも「慰安婦」が消えたことなどを徹底批判できない人が、いくら「日本軍「慰安婦」問題解決のために努力しよう」と言っても説得力は無い。基金が失敗した原因は、こういうところにもあるのでは、と思う。

また大沼氏は、そんな「妄言」政治家を許したのはすべて「国民の責任」ということにしているが、「そのような政治家が生まれることを許したのは、戦後の歴史教育(日本の悪い歴史を隠してきた)が悪かったせいではないのか」といった、歴史教育批判はしたくないようだ(これをすると「政府批判」と言われるから?)。そこも問題だろう。どうも、大沼氏の中では「日本は過去を反省してきた立派な国」ということになっているらしいのだが、まずその認識自体が誤りなのではないのか。本当に反省しているなら、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が検定合格することはなかっただろう。

また、こうも言う。

(前略)本書で「慰安婦=公娼」論への言及と反論がすくないのは、それをよしとしているからではなく、およそ学問的議論の対象にならないと考えているためである。*3

まずこの「議論の対象にならない」と単純に切り捨てる発想自体が問題ではないか。こうした、日本の右派政治家(首相も含めて)に多く見られる「慰安婦は元々公娼だった論」を徹底的に批判しなければ、「その説を認めているのか? そんな人間が作った基金など信用できない」となるだろう。

「国家補償にこだわる学者・NGO」についてはこのように断罪している。

 (前略)こうして、国家補償派の学者やNGOは、「もうすこし時間があれば」といった希望的観測にもとづく批判を基金に浴びせ、実現の見込みのない目標を掲げて突き進んだのである。*4

多分これは、国家補償にこだわる学者やNGOにさんざん批判された意趣返しで書いているように思った。さらに、この批判はむしろ「国民基金」の方に言えるような気がする。「国民基金関係者は、国が主体ではない償い金と、形式だけのお詫びの手紙で、日本軍「慰安婦」問題を解決しようという、実現の見込みの無い目標を掲げて突き進んだ」と。

韓国についてはこう書いている。

一九九〇年代のはじめに「慰安婦」問題が知られるようになって以来、韓国社会で「慰安婦」問題は、日本の残虐、不実、傲慢の象徴として、反日ナショナリズムの言説で覆われてきた。(後略)*5

これも多分「韓国憎し」の大沼氏が勝手にそう思い込んでいるだけかも…。本当に「反日ナショナリズム」の言説だけで覆われていたとは思えない。この本の全体を見ると分かるが、大沼氏の考えでは、韓国が日本を批判することはすべて「反日」であるらしい(ネット右翼もよくそう言っている)。だが、大沼氏もまた、基金を拒否した韓国に反発していわば「反韓ナショナリズム」言説を繰り返しているのだが、それには無自覚だったのか? この本では、基金が韓国で失敗したのはすべて韓国のせいとしたいようだ。特に「被害女性支援グループ」が猛烈に「国民基金」に反対したのが悪いと思っているらしい。だが、猛反発を招くようなものを作ったのは自分たちだ、という自覚は無いのだろうか。この認識は『「歴史認識とは何か」』でも変わっていない。なお、基金に猛反発したのは別に韓国のグループだけではない。

被害女性を「聖化」すべきではないと、こう言っている。

(前略)彼女らはお金のことを云々する俗物であってほしくないという被害者の「聖化」が生じることになる。*6

しかし、被害女性を一括りにして「尊厳の回復より、とにかくお金が欲しい俗物的な女性」にしてしまおうとする、大沼氏の身勝手な欲望の方がよほど問題である。エリートはこういう発想しかできないのだろうか。

たとえばこれ。

(前略)アジア女性基金の活動は、「お金が欲しい」という彼女らの本心の一面――これはとても大切な一面である――を顕在化させたにすぎない。*7

それと、これ。

(前略)国家補償(=政府補償)でなければダメだと主張している強硬な支援団体や学者、ジャーナリストなどはともかく、本来イデオロギーとは無縁な被害者のなかには、こうした償いを受け入れる人も徐々にあらわれてくるのではないか。*8

前者は、被害女性を「お金が欲しいから被害者だと名乗り出たのだろう」と中傷する者たちに似ていると思う。後者は、「イデオロギーとは無縁な」と勝手に断定しており、被害女性たちのことを「文字も読めず、社会問題も知らず、『法的責任』と『道義的責任』の違いも分からない、無知な女性たちしかいない」と思い込んでいるのではないか(『「歴史認識」とは何か』を読んだ時も、大沼氏はセクシストっぽいと思ったのだが、やはりそうなのかも知れない)。

つまり、大沼氏らは勝手な「被害女性イメージ」を作り上げ、それを信じて行動してしまったことが間違いだったのではないか。「お金より尊厳が欲しい」という被害女性など一人も居ない、と思い込みたいのだろう。実際はたくさん居たと思うが(たとえ貧困であっても)。

そういえば、こんなことも書いてあった。

お金の問題ではないという生き方を貫いた元「慰安婦」も、ごく少数はいただろう。(後略)*9

…ごく少数と言い切れるだろうか。他の本を読むとにわかには信じがたい。他にも…。

(前略)強固な反日ナショナリズムの下で一面的な「慰安婦」像と国家補償論を論じ続け、多くの元「慰安婦」の素朴な願いを社会的権力として抑圧した韓国メディア。(後略)*10

これなんて、明らかに国民基金側のことではないのか? 「強固な反韓ナショナリズムの下で、お金が欲しいだけという一面的な「慰安婦」像と、国家の法的責任回避論を論じ続け、多くの元「慰安婦」の素朴な願い(国家補償と尊厳の回復)を抑圧した国家基金」

それと気になるのはこれ。

(前略)実際、アジア女性基金の関係者が一〇年以上接してきたほとんどの元「慰安婦」の方々は、「お金は問題ではない」とは言わなかったのである。*11

これに関しては、「そう答えた被害女性は、果たして『償い金を受け取った人』なのか、『拒否した人』なのか? ここには書いてないので分からない」ことと、「関係者がいったいどれだけの数の被害女性に接してきたのかが分かりづらい」こと、「その『お金は問題ではない』という話は、いつごろ聞きだしたのか分からない(基金設立直後なのか、終わりの頃なのか?)」こと、「十年どころかもっと長い間彼女らに接してきた支援者たちと、たかだか十年前後しか接してない基金関係者とでは認識に違いがある」こと、「この女性たちに接したという基金関係者は、彼女らから見れば『償い金を受け取れと抑圧してくる強そうな者』である」ことに注意して読む必要があるのではないか。つまり彼女らの中には、関係者らと長く接するうちに、「ご機嫌取りのために、関係者にとって都合のいい受け答えしか出来なくなってしまった人も居るのではないか」、ということ。また参考までに、大沼氏の「盟友」で、基金の中心人物の一人・和田春樹氏の本を読むと、実際に和田氏が会った被害女性の中には、確かに「お金の問題ではない、国家補償を求める」といったことを言う人は確かに居た、と書いてある。*12

この「お金の問題なのかどうか」の部分を総合的に考えると、このような構造が浮かび上がる。

「大沼氏は、日本国家が「慰安婦」問題の責任を認めなくても、お金さえ見せれば、お金が欲しくて、無知で、イデオロギーと無縁な『俗物』の女性たちは受け取るだろうと考えていた」→「しかしそうはいかなかった」→「その主な原因が『国民基金』の強引さにあるとは考えたくなかった(考えても、本には書きたくなかった)」→「それなら、世論やメディア、被害者支援グループが、金が欲しい彼女らを抑圧した、というストーリーにしよう。さらに被害女性を聖化するな、俗人化しろという屁理屈も書いておこう」→「そのためには、事実を曲げてでも向こうの責任だと読み手が受け取るように書くしかない」…。

大沼氏の言い分の一部と、基金擁護派の韓国人・朴裕河(ぱくゆは)の本『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(朴裕河著/平凡社→後に平凡社ライブラリー)の日本軍「慰安婦」問題に触れたページの一部は似たところがあるが、どちらが先なのか?  一説によれば、大沼氏の方が先であると言われる。

「お金の問題ではない」と、はっきり言った被害女性が、少数だろうとも、多数だろうともそれは関係ない。一人でもそう言う人が居ると分かれば、その時点で「国民基金」は中止した方が良かった、というのが私の考えだ。

この、「自画自賛」としか思えない部分はいちばん問題だろう。

(前略) いくつかのマイナス面はあったにせよ、アジア女性基金による償いは国際社会における日本の評判の下落を防ぎ止めるのにはるかに貢献した政策だった。米国の議会で「慰安婦」問題に関する対日非難決議案が議論されたり、韓国や中国で日本を批判する動きが出たとき、日本政府が、日本は個々の元「慰安婦」に総理のお詫びの手紙を送り、金銭的な償いも行なってきたと主張できるのは、アジア女性基金の十二年間の働きがあればこそである。(後略)*13

実際は「いくつかの」どころかマイナス面の方が多いだろう。「国際社会における日本の評判の下落を加速するためにはとても貢献した」の方が正しい気がするけど。しかもここでは「中国」とあるが、中国には償い金も手紙も渡していないことは忘れているのか? さらに、そうやって日本政府が「“国民基金”で償いは十分行ってきたから、もう解決済みだ、韓国はもう何も言うな」という口実に使われてしまったことこそが、もっとも問題ではないのか。「慰安婦などいない」と言い、基金には批判的であろうネット右翼ですら「日本は謝ったのに韓国は許さないからおかしい」とか言っているのだろうし…。「米国の議会で「慰安婦」問題に関する対日非難決議案が議論されたり、韓国や中国で日本を批判する動きが出たとき」以下の文にしても、実際は「日本政府が、日本は被害女性にお詫びの手紙を送り、金銭的な償いも行なってきたと主張しても『いや、それでは解決されていない』と批判されてしまうのは、国民基金の働きのせいである」というのがその後の展開だったようだ。

他にもあまりの自己弁明と身内擁護に必死で、むしろ笑える箇所として紹介する。

(前略)いったいだれが、「受け取りたくない被害者」に「無理やりお金を受け取らせる」ため、あるいは、自分にとってはどうでもよい「運動」に「分裂をもちこむ」ため、一〇年以上ものあいだ自分の残り少ない人生の貴重な時間を無駄にするだろうか。そんなバカなことをする人がいるはずはないのである。*14

これは、「国民基金」は被害者に無理やりお金を受け取らせたとか(多分そういう「無理やり受け取らされた人」は確実に居たと思う。大沼氏はあまり言わないけど)、基金のせいで支援グループが分裂した(これも事実としてあるだろう)という批判に答えているのだろうが、これではただの自己弁護と身内擁護である。そうなってしまったのは事実なので、潔く「無理やり受け取らせてしまった人が居たらごめんなさい、分裂させてしまって申し訳ないと思う。バカなことをしていると思われても仕方がなかった」と書かないとダメだろう。

また、これの少し手前にこんな文がある。

アジア女性基金に対して加えられた批判や非難の多くは、基金の理念や実態を曲解した不当なものだった。(後略)*15

これに関しては、はっきり申し上げるが「違うだろう」。基金を批判した真面目な人の多くは、「基金の理念(政府の責任を認めない)と、実態(あまりにも強引に推し進めた)がおかしいから批判した」のであり、不当なものではないのだ。それを「曲解した不当なもの」とするのは、ただの言いがかりである。大沼氏の方が、支援グループや基金反対者のことを曲解しているのではないか。

大沼氏は、国連や国際社会の報告では、この基金の評価が低いことを恨んでいるような節も見受けられる。特に「クマラスワミ報告書」(日本軍「慰安婦」は軍性奴隷である、などと報告)を否定したいのだろうが、これは恐らく大沼氏はマッチョなセクシスト(さらにアンチフェミニストっぽい)だから、「女が書いた報告なんて」と馬鹿にしているのかもしれない。大沼氏は、クマラスワミ氏の働きを国際連合人権委員会が「歓迎する」が報告書は「留意」としたのは「この報告書の信頼性が低く、国際的な評価も高くないため」*16としたいようだが(「歓迎する」としただけでも脅威だと感じたのだろうか)、「国際連合人権委員会も、『女が書いた報告書』だからあまり受け入れたくない」と考えた可能性もあると思う。

なお、「国民基金は民間団体と誤解されたが、実態は公共なものだった」と、大沼氏は晩年まであらゆる場所で繰り返し言ってきたようだが、そもそもこの事業に政府はあまり積極的ではなかったと言われている(こういうことは大沼氏は隠したがるのだろうが)。これを「公的なもの」と呼べるかは疑問だ。

参考・引用文献

  • 『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』(大沼保昭著/中公新書)
  • 『歴史と責任 「慰安婦」問題と一九九〇年代』(金富子・中野敏男編著/青弓社)
  • 『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(大沼保昭著 聞き手・江川紹子/中公新書)
  • 『「慰安婦」バッシングを越えて 「河野談話」と日本の責任』(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編/大月書店)
  • 『慰安婦問題の解決のために アジア女性基金の経験から』(和田春樹著/平凡社新書)
  • 『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(朴裕河著/平凡社ライブラリー)

*1:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』(大沼保昭著/中公新書)、「はじめに」ivページ

*2:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』6ページ

*3:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』、「はじめに」ixページ

*4:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』112ページ

*5:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』53ページ

*6:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』98ページ

*7:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』90ページ

*8:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』17ページ

*9:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』91ページ

*10:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』66ページ

*11:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』88ページ

*12:『慰安婦問題の解決のために アジア女性基金の経験から』(和田春樹著/平凡社新書)117~122ページ参照

*13:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』130ページ

*14:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』89ページ

*15:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』89ページ

*16:『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』149~150ページ参照