ろーだいありー

ゲームレビュー、ゲームプレイ記録、『メガテン』考察、ブックレビュー、音楽レビュー、コレクション写真、映画評など。

「安楽死・尊厳死議論」についてもっと考える

以前の記事。

 

lucyukan.hatenablog.com

 

もう少し「安楽死・尊厳死」に関わる議論について書いておきたい。なお、このブログでは建前上は「安楽死・尊厳死の法制化には賛成でも反対でも無いが、この問題についてタブー視してはいけない」とだけ書いておく。

以前から言っているのだが、私が思うに「反対派の意見の方が全体的に胡散臭いものが多い」と考える。「現時点では治らない難病や、重度の身体障害などがあり、生きるのが辛く、心から安楽死・尊厳死したいと願う人」が実際に居ることを知らないか、知っていても見て見ぬフリをしている人が言っているからだろうか(所詮は他人事としか思っていないのだろう)。反対派の意見って、たいていは「紋切り型」(同じような意見ばかり)なのが「胡散臭い」と思う理由かも。反対派の意見の大抵は、「心から安楽死・尊厳死を望む人なんて本当は居ないんだ、周りからの圧力で死にたがっているのだ、本当は生きる希望を持っているに違いない」という、単なる願望から来るものが多いのではないか、と私は見ている。

さらにもう少し考えてみたら、あることに気が付いた。

反対派の意見で「かつてナチスが、障害者などを『安楽死させて』いたことがある。安楽死・尊厳死制度を導入すると、国家により障害者などが『生かしておいても税金の無駄遣いだから・生産性が無いから・社会の役に立たないから』という理由で殺されてしまう怖れがある。だから安楽死・尊厳死の法整備には反対」といったものが時々ある。この意見は、一見すると「ごもっとも」に見えるかも知れないが、よく考えて欲しい。

確かにナチスは「安楽死という名の下に、障害者などを殺害した」のは事実だが、「安楽死」とは名ばかりで、実態は「権力者による障害者の抹殺・大量虐殺」である。そもそも「安楽死」とは「本人の意思によって行われるもの」(「自ら薬物投与をして死ぬこと」)であり、医師などの他人は「ほう助」しか出来ない。「他人に強制的に薬物注射などをして死に至らしめる」ことは、名目上は「安楽死」であっても「安楽死」とは呼ばない。ただの「殺人・殺害・虐殺」である。

そう考えると、「ナチスが障害者などを安楽死させ…」という言い方は、安楽死反対派には都合がいいのだろうが、安楽死に対する認識を歪めてしまうものだと思う。つまり「安楽死=優生思想の権力者が行う怖ろしいもの」という間違ったイメージを植え付けかねない(一部の人には既に植え付けられているのだろうが)。この場合は「かつてナチスが障害者などを集めて、密かに薬物注射やガス室送りなどの方法で虐殺していた」と言い換えるべきだ。多分、安楽死・尊厳死反対派は、いくら説得しても絶対に変えないだろうけど。こういう言い方にすると、「安楽死・尊厳死導入反対」の理由として使えなくなるから。

あと、「生産性の無い者・何も出来ずに社会の役に立たない者は死なせるべき」という言い分と(どちらかというと国家に媚を売る右派に多い気がする)、「何も出来なくても、生きているだけで社会の役に立っているから生かすべき」という言い分(こちらは国家に媚びない左派に多い?)は、全く違うようだが実際はどちらも「個人が社会の役に立つかどうか」がまず軸としてある以上、表裏一体のものであると私は考えている。つまり、どっちも「社会のことが優先で、個人の幸福には関心が無い」意見だということ。

 

↓クリックしてね!

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村