ろーだいありー

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「馬の安楽死」は「馬の殺処分」と書くべきだと思うが…

先日の記事。

 

lucyukan.hatenablog.com

 

この中で…。

確かにナチスは「安楽死という名の下に、障害者などを殺害した」のは事実だが、「安楽死」とは名ばかりで、実態は「権力者による障害者の抹殺・大量虐殺」である。そもそも「安楽死」とは「本人の意思によって行われるもの」(「自ら薬物投与をして死ぬこと」)であり、医師などの他人は「ほう助」しか出来ない。「他人に強制的に薬物注射などをして死に至らしめる」ことは、名目上は「安楽死」であっても「安楽死」とは呼ばない。ただの「殺人・殺害・虐殺」である。

「安楽死・尊厳死議論」についてもっと考える - ろーだいありー

…と書いたのだが、時々報道される「怪我をして予後不良となった競走馬の安楽死」については、「馬の意思とは関係無く、人間によって行われるもの」だ。だが、これは「安楽死という名の殺処分」であるので、「馬の安楽死」という表現は実態に即していないのではないか、と私は考えている。もしも「人間が馬と意思疎通が出来て、馬が自ら死にたいと願っていると分かり、馬が自ら薬物を投与出来るようにしてあげる」のなら真の「安楽死」だろうけど(実際にはあり得ない)。

多分、「競走馬が予後不良のため殺処分となった」と書くと、馬が可哀そうに思えてくるし、残酷な印象を与えるので、あえて「競走馬の安楽死」という表現にしているのでは、と。しかし、「予後不良となった競走馬を安楽死させた」という表現は、人間が行う安楽死に対するイメージを悪くする表現ではないか、と私は見ている。「馬の安楽死」は「馬の殺処分」を言い換えただけのものであり、「どうしても死にたいと願う人間が、自らの意思で行う安楽死」とは違うものなので、区別して書いた方がいいと思う。

「安楽死・尊厳死法制化反対」の人の本やウェブサイトでは、やはりというか「死にたいと思う人が居る社会を変えていくべき」といった意見は根強いようだ。しかし、もしも「誰でも生きる希望が持てる社会」になったとしても(ならないけど)、死にたい人が居なくなることは絶対に無い。反対派の人は、実際に「事故の後遺症や、重度の障害、治らない難病などのために寝たきりの状態になって、早く死にたいと願い、安楽死・尊厳死法制化を心から待ち望む人」に会って「あなたは生きてるだけで素晴らしい、まだ生きて欲しい、社会はこれから良くなっていくから」とでも言ってみればいいと思う(「反対派とは会いたくない」という当事者が多いかも知れないが)。多分、「どうして私の死にたい気持ちを理解してくれないの? あなたが将来事故や病気で私と同じ状態になっても、まだそんな理想論が言えるの? 『誰でも生きる希望が持てる社会』? それはあなたの心の中にしか無い世界でしょう?」と怒られるだろうけど。

参考文献

  • 安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと(安藤泰至著/岩波ブックレット)

 

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