ろーだいありー

PS2ソフト『デビルサマナー葛葉ライドウ対超力兵団』の考察記事、ゲームレビュー、ゲームプレイ記録、ブックレビュー、音楽レビュー、コレクション写真、映画評、社会問題批評など。

「トランスカルト」(トランスジェンダリズム)と「ジェンダーフリー」の違い

以前より「トランスカルト(トランスジェンダリズム)」についての批判を書いているが、どうも一部に「トランスカルト」=「ジェンダーフリー」だと思っている人が居るようなので、この二つの違いについて書いておく。

トランスカルト思想とは、簡単に言えば「性別は自分で決められる」(簡潔に言うと「生物学的な性」よりも「性自認」を重視するということ)、「トランスジェンダー女性(基本的には性別適合手術は受けておらず、肉体的には男子のまま女性を名乗る人)は女性として扱わねばならない、トランスジェンダー男性(肉体的には女子のまま男性を名乗る人)は男性として扱わねばならない」という思想。

つまり端的に言えば「トランス女性は女子トイレも女湯も女子更衣室も合法的に使えるし、女子スポーツにも参加出来る、トランス男性は男子トイレも男湯も男子更衣室も合法的に使えるし、男子スポーツにも参加出来るような社会」を目指すもの、と言える(最終的には「トイレなどの男女分けも全て無くす」つもりなのかも知れない)。他にもトランスカルトが推し進める政策はあるのだが、それはまたいずれ。

気を付けるべきは、トランスカルト思想は「男らしさ、女らしさ」を殊更強調したがる思想だということだ。それはなぜか。「男はこういう見た目でこういうものが好きな性別、女はこういう見た目でこういうものが好きな性別」とはっきり決めておかなければ「トランスする」ことが出来ないため。例えば「男はショートカットでズボンを履き、車やロボットが好き」とか、「女はロングヘアでスカートを履き、人形や可愛いものが好き」といった感じに。

一方、ジェンダーフリー思想とは「ジェンダー(生物的な性別とは別に、社会的に決められた性別のこと)を解体する」ことを目的とした思想である。つまり「男は男らしく、女は女らしく」、「男は仕事、女は家庭」といった考えをやめ、「世の中には様々な男女が居る」ことを認めること。その時点でトランスカルトとは相容れない思想であることは分かるだろう。さらにジェンダーフリー思想では、ジェンダー解体は目指すが「生物学的な性別」を解体することはしない(そもそも出来ないので。今の科学では「男が子どもを生めるようになること」などはあり得ないのだし)。なので「トイレや風呂、更衣室、スポーツなどの男女分けを止めよう」という思想では無いのだ。かつてジェンダーフリーバッシング派が「ジェンダーフリー派はトイレなどの性別分けも無くそうとしている」とバッシングしたが、それはただの言いがかりに過ぎない。

私は「海外で既に失敗したトランスカルト思想の日本侵略に反対する」立場であり、「ジェンダーフリー思想を推進し、女性差別を無くすこともLGB差別とトランス差別を無くすことも両方重要と考える」立場である。